私は、ホーム・ステイ担当でした。私の家では、誰一人、英語が話せる者はいません。だから、今回のことは北条家の一大イベントでした!しかし、特に英語の勉強をせずに、コートニーを迎える日が来ました。待っているとき、不安やドキドキやいろいろな思いでした。いざ実際会ってみて何を話せばいいのか分からなかったです。eメールでお互いのことは分かってるし、話そうと思っても英語が出てこなかったり…。特に何も話さぬままその日は過ぎて。ワールド・ユースでも、私は発表ではなかったので、22日と23日は挨拶ぐらいしか話をする機会がありませんでした。

 

そして、24日の市内観光。まず行ったのは、電気の科学館。印象的だったのが、“暗闇の部屋”と“斜めの部屋”です。ホントに真っ暗で、お化け屋敷なみ!!初めてみんなでおもいっきり笑い合えた時だったと思います。“斜めの部屋”は、どんなにがんばってもちゃんと立てなかったです。みんな同じように必死に立とうとしていて、やっぱりみんな同い年なんだって思えました。

 次は、昼食。私たちが選んだランチはマック!!てりやきバーガーを食べて欲しかったのです。マクドナルドのお店の中はアメリカと同じだそうです。“おいしい”って言ってもらえた時は、とてもうれしかったです。

 その次は、プリクラ。市内観光の一つの目玉です。最初みんなで撮りました。小さな記念です。

 そして次は、LOFTへ。2つのグループに分かれて行動しました。全部見ても、まだ時間が余ったので、私お勧めのプリンを食べに行きました。ここでコートニーに覚えてもらった言葉が“記念”。コートニーは別れるときまでこの言葉を覚えててくれました。

 おみやげには、日本らしい物がいいかなと思って探してはみるものの、なかなか思いつかなかったです。扇子とか“いかにも”っていうものはもう持っていたので。日本人なのに日本のことが分からない、日本人だからこそ見えないのかもしれませんが。こういうことは、相手の文化とかもよく学んでから見えてくる日本なのかもしれません。

 学校への帰り道でかき氷を食べました。けっこう量があったのに、みんな全部食べてしまいました。暑い夏に簡単で安いかき氷を食べる!!日本のいいところが見られたような気がします。建物に入ればクーラー、じゃなくそこは扇風機。人工的な寒さのクーラーより、そこの扇風機とかき氷の方が涼しく、心地よかったです。

 その日の夕食は、天ぷら。コートニーにも手伝ってもらいました。コートニーは家でもお手伝いをしているようです。それを聞いたときは耳が痛かったです。


かき氷を食べて


次の25日は、焼き物の本場である瀬戸での陶芸体験でした。私自身楽しみにしていました。しかし、行きは、渋滞にはまってしまいたいへんでした。みんな疲れが限界になり、途中で入った喫茶店でクリスとコートニーが頼んだのはアメリカンコーヒー。初日の21日に名古屋駅で出迎えたときに、JRセントラルタワーズの展望台で入った喫茶店でも、普通のコーヒーでは濃くて飲めなくて、ミルクを沢山入れていました。アメリカンって言うくらいだから、当たり前のことなのに、なぜか面白かったです。ちなみにアメリカには「アメリカン・コーヒー」というメニューはありません。

 陶芸工房に着いてすぐ出されたのが、お抹茶でした。先に工房に着いていたパトリックは、顔をゆがませながら飲んだそうです。クリスも同じでした。コートニーは意外にも平気そうでした。私も初めて飲んだときは、苦かったです。コーヒーを薄めて飲むくらいなのだから、相当な苦みだと思います。

 そして、陶芸づくりへ。最初は、細長く棒状にのばした土をぐるぐる巻き上げて筒状にしていく「手びねり」でした。こんな土で作れるのかなと思いながらも、みんな思い思いの形に作っていき、クリスはとても大きな花瓶を、コートニーはスマートな花瓶を、パトリックはスープ皿を作っていました。次は、ろくろ。テレビで見ているのと同じようになかなかうまくいきませんでした。クリスは、球体の花瓶を作っていました。すごくうまくて、日本人が器用というのも、昔の話だと思いました。

昼食で、出された湯飲みが2〜3万円というのを聞いて外国人チームは、かなりびっくりしていました。私たち日本人も、それ以上にびっくりしました。いろいろな歴史があってその値段になったので、その歴史を知れば理解できると思います。


「ろくろ」に挑戦するコートニー


 陶芸体験が終わって名古屋へ戻ってきました。夕食まで時間があったので、コートニーが欲しがっていた漢字表示の腕時計を探しに行きました。名古屋に来る前に滞在していた栃木でクリスが手に入れていたので、名古屋で売っていてもおかしくないのに、日本人には逆に読みづらいせいか、どの店にも置いてありませんでした。

 そして、夕食へ。お寿司を食べに行きました。私はわさびが食べられないのに、コートニーはまったく大丈夫で、抹茶といい、日本人らしいなと思いました。すしネタを指して“What’s this?”と言われても、単語が分からなくて、分かっても発音が違うらしくなかなか通じませんでした。

 次に大須へ行きました。おもちゃ屋さんで、ちょうちんを買いました。そこのお店のおばあちゃんが“センキュー、センキュー”と言っていたのが印象的でした。こんなところにも国際化が進んでいるなんて。

 次にコートニーが行きたがっていた宗教の集会へ。私は無宗教なので、初めてで緊張しました。みんなで聖書を読んで学ぶという感じで、コートニーも日本語の聖書を指でなぞりながら、見ていました。終わって、みんなで写真を撮りました。みなさんとても優しくて、コートニーもうれしそうでした。信じていることが同じなら心も通じ合っているような気がしました。私たち無宗教の人は、困ったときだけ“あぁ、神様”と思い、普段は何もしなくて、ずるいと思いました。しかし、今はこの生活が慣れてしまっているので宗教に入ろうとは思いません。宗教に入っている人こそ私は尊敬してしまいます。

この日の夜は遅くまでコートニーとおしゃべりしました。二人とも辞典を持って。私が現在形・過去形・過去分詞形が難しいと言ったら、コートニーは日本語の“食べる・食べた・食べられる・食べましょう・食べられない…”の方が難しいと言っていました。確かに英語では、例えばどんな動詞にもcanを付ければ“可能”の意味になるので、活用がある日本語の方が難しいと思います。小さい頃、物を見て言葉(日本語)を覚えました。しかし今は、英語を学ぶとき日本語に一度置き換えてから物のことを考えます。日本語に置き換えず、そのまま物を考えれば、もっと速く身に付くと思いました。

 帰る日の朝、何を話せばいいのか1日目のように困ってしまい無駄な時間を過ごしてしまったような気がします。コートニーが来るまでは、何を話そうかたくさん考えていたのにほとんど忘れてしまいました。

 別れるとき、コートニーと約束をしました。お互いが英語と日本語が話せるようになったらまた会おうと。それまでは、またeメールフレンドです。約束が守れるようこれからもがんばろうと思います。

 英語は、1つの教科と考えていたけど、そうではなく海の向こうでは日常生活には絶対なものだという、分かりきっていることが改めて分かりました。今、日本語で頭の中で考えているように、外国人は英語で考えているのかと思うと変な感じです。いつか私も日本語を使わなくても考えれるようになりたいです。

西陵商業高等学校 商業科国際コミュニケーションコース3年 北条絵里